2番目の例文を見てください。下線部は、それ以外のどこを修飾しているでしょうか。
I(私)でしょうか、played(プレイした)でしょうか、baseball(野球)でしょうか。
「私が子どもだったとき、私」
「私が子どもだったとき、プレイした」
「私が子どもだったとき、野球」
こちらも真ん中の文がしっくりきませんか。playedという動詞を説明しているので、副詞の働きをしているといえます。
when以下は、主語Iと動詞wasがあるので、「節」です。副詞の働きをもっている節なので、副詞節です。
そして、この文もwhen以下の文とその前の文が独立して存在するので、「文、文」になっていますよね。
わかりづらいですか?
「独立して」というところがわかりづらいならば、独立していない文を見れば一目瞭然です。
同じ8ページのc-1の3番目の例文を見てください。このthat以下の文(節)は、動詞believeの目的語になっています。文の一部なんです。
これを「独立していない」と私は呼んでいます。文の一部なので、切っても切り離せない関係なのです。
これはこの後の「時制」で深く関わってくるので、しっかり理解しておいてください。